中高年だからこそ退職代行だ

会社に行く必要はない。ただ真面目に学ぶ。 ──「勤労」から「探求」へと移行する時代の生き方

深山悠翔

このサイトは、中高年で社会に馴染めないけれど、まっすぐに生きていきたい人のために運営しています。 私は、集団に馴染めず高校を中退しましたが、独学で勉強を続け、難関大学を卒業しました。 いまはAI動画クリエイターとして、地道に活動しています。 顔出し・実名で20年以上ネットビジネスを続けているメンターの姿に影響を受け、 「成功とは競争ではなく、静かに続けること」だと気づきました。 退職代行を利用して会社を辞めた経験から、 「逃げること」は弱さではなく、生き延びるための選択肢だと学びました。 このホームページでは、 「社会の正解」よりも「魂の納得」を大切に、 静かに生きたい人のためのヒントを発信していきます。

昔は、「会社に行くこと」が人生の中心だった。
朝、スーツを着て電車に乗り、上司の顔色をうかがいながら一日を過ごす。
それが“大人としての責任”であり、“社会人としての正しさ”だと信じられていた。

だが、時代は確実に変わった。

AIが知識を瞬時に生成し、リモートワークが常識となり、
会社という箱に行かなくても、
誰もが個人として学び、発信し、働ける時代になった。

それでも、多くの人がいまだに「会社に行かないと不安になる」。
まるで会社に行くことが“存在証明”であるかのように。

でも、私は思う。

会社に行く必要はない。
ただ真面目に学べばいい。

この言葉は、怠けることの正当化ではなく、
学びを通じて社会と関わるという、新しい生き方の宣言である。


■「働く」と「学ぶ」を混同してはいけない

日本社会では、長らく「働く=学ぶ」だと思い込まされてきた。
現場で学ぶ、実践から学ぶ──それは確かに一理ある。
だが同時に、そこでの“学び”はしばしば、
**「会社を維持するための学び」**にすぎなかった。

新しいことを学ぶように見えても、
実際には古い常識を内面化させられている。
それが「会社という教育装置」の正体だ。

私はそこから一度、距離を取った。
すると見えてきたのは、
「学び」とは本来、“社会の外側を理解する力”なのだという事実だった。

働くために学ぶのではなく、
自分の頭で考えるために学ぶ。
その思考が、やがて次の社会を生み出していく。


■AI時代に求められるのは「勤勉さ」ではなく「思索の力」

AIが人間の知識やスピードを超える時代。
もう「真面目に働く人」よりも、
**“真面目に考える人”**が必要とされている。

AIはどんな命令にも従うが、
「なぜそれをするのか」という問いは立てられない。
つまり、“構造を疑う力”を持っていない。

これから生き残る人は、
単に命令をこなすのではなく、
構造そのものを再設計できる人だ。

だから私は言う。

働くよりも、学べ。
学ぶことこそが、最も尊い労働だ。


■「会社を辞めること」は、社会との関係を再構築すること

多くの人は「会社を辞める」と聞くと、
“社会から逃げた”と思う。
しかし、本当は逆だ。

会社という限られた構造の中では、
自分の能力や価値観を発揮できない人がいる。
彼らは「辞めた」のではなく、別の社会に接続し直しただけだ。

YouTubeで発信する人。
フリーランスとして働く人。
あるいはAIと協働して、新しい価値を生み出す人。

彼らは会社を離れたことで、むしろ社会との接点を深めている。
それは“孤立”ではなく、“再接続”である。


■「真面目に学ぶ」とは、形を守ることではない

ここでいう「真面目」とは、
ルールに従順であることではない。
むしろその逆だ。

真面目に学ぶとは、
世界を本気で理解しようとする誠実さのことだ。

ニュースを鵜呑みにせず、
常識を疑い、
一つのテーマを深く掘り下げる。

それが“真面目な学び”だ。

SNSで流れる情報をただ追うのではなく、
一次情報をたどり、
自分なりに考える。

その積み重ねが、
やがて「個人の知性」となり、
社会の構造を変えていく。


■「社会に合わせる」より「社会を学ぶ」

多くの人は、「社会に合わせる」ことを美徳とする。
でも私は、それよりも
「社会を学ぶ」ことの方がずっと大事だと思っている。

合わせるだけでは、
自分の頭で考える力が鈍っていく。
“社会の一部”として機能するだけで、
その社会を構築する側には回れない。

社会不適応とは、社会を見つめ直すチャンスでもある。
会社に馴染めなかった人ほど、
社会の構造を最も深く観察できるのだ。


■「働かない」という選択を、恐れなくていい

働かない、という言葉にはまだ強い偏見がある。
でも、「働かない=怠けている」ではない。

むしろ、
「自分のペースで、世界を深く観察する」ことに価値を見出している人が増えている。

中国では「躺平(タンピン)=寝そべり族」が登場し、
アメリカでは「Quiet quitting(静かな退職)」が広がっている。
どちらも、社会の仕組みを無批判に受け入れないという“思想的行動”だ。

彼らは社会を放棄したのではない。
社会を見限ることで、次の社会を模索している。


■「勤労の時代」から「探求の時代」へ

20世紀は「勤労の時代」だった。
どれだけ働いたか、どれだけ我慢したかが評価された。

しかし、21世紀は明らかに違う。
これからは「探求の時代」だ。

  • 自分は何を知りたいのか

  • どんな社会をつくりたいのか

  • どんな幸福を望むのか

そうした“問い”を持ち続ける人が、
これからの時代をリードしていく。

会社という枠を出ても、
社会を離れても、
真面目に学び続ける人は、いつでも必要とされる。


■「学び」が新しい社会を創る

AIが働く社会では、
「学ぶ人間」が最も価値を持つ。

学ぶとは、思考のアップデートであり、
時代との対話である。

会社を離れても、社会を降りても、
その対話をやめない限り、
人は決して“無職”ではない。

学び続ける人間は、どんな肩書きよりも強い。


会社に行く必要はない。
ただ真面目に学ぶ。

この言葉には、怠惰ではなく希望がある。
強制ではなく自由がある。

社会の中で学ぶことも、
社会の外で学ぶことも、
どちらも同じ価値を持つ。

大切なのは、
「学び」を止めないこと。

働くことが目的ではなく、
学び続けることが人生の中心にある──
そんな時代が、ようやく始まっている。

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