「社会を変えたい」と思うなら、まず政治に参加すること。
──これは、多くの人が信じて疑わない“正解”のように語られてきました。
私もその大切さは分かっています。
選挙に行くこと、意見を届けること、制度を理解すること。
それは、民主主義を維持する上で欠かせない行動です。
けれど、現実にはこう感じることもあるのではないでしょうか。
「一票を投じても、社会の本質は何も変わらない」
「政策が変わっても、構造はそのまま」
なぜなら、政治という仕組みそのものが自己保存装置を持っているからです。
制度や利権、官僚機構や既得権──それらがゆるやかに絡み合い、
“ドラスティックな変化”を阻んでいる。
だから私は思うのです。
政治参加は大切。
でも、それだけで社会を変えるのは、構造的に難しい。
■社会は「降りる人」から静かに変わり始めている
最近、興味深い現象が世界各地で起きています。
それは、**「社会を放棄する人たち」**が増えているということ。
中国では「躺平(タンピン)=寝そべり族」という言葉が生まれました。
朝9時から夜9時まで週6日働く“996文化”に疲れ果てた若者たちが、
競争から降り、必要最低限の暮らしで生きることを選んでいる。
「努力しても報われないなら、もう寝そべる」
──このフレーズがSNSで拡散され、瞬く間に共感を呼びました。
中国の社会学者たちは、これを「低欲望社会への適応」や
「消費主義への静かな反乱」と分析しています。
つまり、“社会を拒否する”というより、
“過剰な社会参加を見直す”という文化的シフトです。
■欧米でも進む「静かな離脱」──Quiet Quitting
一方、欧米では**Quiet quitting(静かな退職)**が流行語になりました。
「辞める」のではなく、
「求められた最低限の仕事だけをして、それ以上はやらない」。
Gallup社の調査によれば、
世界の労働者の約59%が「quiet quitter」に該当するとのこと。
つまり、**半数以上の人が“心の中で会社を辞めている”**状態です。
さらに2021年以降、アメリカでは**The Great Resignation(大退職時代)**が起きました。
低賃金や長時間労働、尊重の欠如に嫌気がさした人々が、
次々と職場を去っていったのです。
ここでも共通しているのは、
「このゲームには、もう参加しない」
という静かな意思表示です。
政治的なスローガンを掲げるわけではない。
ただ、社会の燃料を抜く。
それだけで、巨大なシステムは確実に揺らぎ始めるのです。
■日本の「社会放棄」──引きこもりや非正規もまた構造の鏡
日本にも、同じような動きがあります。
「引きこもり」や「NEET(ニート)」と呼ばれる人々は、
長年“社会不適応者”として扱われてきました。
しかし、内閣府の調査によると、
現在の日本では約146万人が「広義の引きこもり状態」にあるとされています。
これはもはや、個人の問題ではありません。
社会の仕組みが、相当数の人を“降りざるを得ない場所”まで追い込んでいる。
「会社に行けない」
「集団が怖い」
──それは弱さではなく、時代の限界を映すセンサーです。
過剰競争・過剰同調・過剰責任。
この三つが重なった社会では、
心の健康を守るために“降りる”という選択こそ、
もっとも理性的な行為なのかもしれません。
■放棄とは、逃げではなく「構造改革の一形態」
社会を放棄する、というと
「逃げ」「無責任」と思う人もいるでしょう。
でも、少し立ち止まって考えてみてください。
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ブラック企業から去る
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不毛な議論から距離を置く
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過剰な消費をやめる
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無理に人間関係を続けない
これらはすべて、個人レベルの構造改革です。
会社・政治・経済──あらゆるシステムは、
人間の“参加”によって支えられています。
だからこそ、参加しないという選択には意味がある。
社会が変わらないなら、
私たちの側から“関係性”を変えていけばいい。
それが「放棄の哲学」であり、
静かな革命の第一歩なのです。
■政治は「内側からの変化」、放棄は「外側からの変化」
政治は、社会の内側から変える手段です。
制度・ルール・公共の仕組みを調整すること。
それは必要不可欠です。
しかし、内側のルールをいじるだけでは限界があります。
既得権益の網の中で、スピードも方向性も制約されてしまう。
一方、「社会放棄」という動きは、外側からの変化を生みます。
新しい価値観、働き方、ライフスタイルが、
“政治の外”から社会を変えていく。
それが今、世界的に同時多発的に起きている現象です。
■参加と離脱、そのあいだにこそ希望がある
私は、政治参加を否定しません。
むしろ、それを理解することは“構造を学ぶ訓練”になると思っています。
けれど、参加だけが正義ではない。
選挙も、抗議も、デモも、意味がある。
同時に、
静かに距離を取る、
働き方を緩める、
消費を減らす──
こうした“日常的な離脱”にも、同じくらいの力がある。
社会は、支える人がいなくなったとき、初めて形を変える。
だから、政治で社会を変えるのも大事。
でも、多くの人が静かに社会を降りることも、また一つの変革なのです。
■静かな“退出”こそ、新しい希望のかたち
中国の寝そべり族、
欧米のクワイエット・クイッティング、
日本の引きこもりやフリーランス化の流れ──。
それらはバラバラに見えて、実は同じ方向を指しています。
「今の社会契約を、そのままでは引き受けない」
政治で社会を変えることも大切。
しかし、社会に“過剰に参加しない”という生き方も、
同じくらい価値がある時代に入っています。
それは逃げではなく、
時代の自然な新陳代謝。
社会が変わらないなら、
関わり方を変えていけばいい。
戦わなくても、
離れることで、
社会は静かに姿を変えていく。
「社会を放棄する」とは、
もうこのゲームに参加しない、という静かな勇気だ。
そしてその勇気こそが、
次の社会をつくる最初の原動力になる。




